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 浜峰のひものトップページ > 一魚一会に感謝 > 2008年09月30日 私と熊野〜後鳥羽上皇の熊野御幸をよみながら
一魚一会に感謝
一魚一会ファンクラブ
リレーエッセー
2012年2月28日 還暦の記念冊子をいただきました。

第11回 2009年12月29日
出会いに感謝

寺口淳子(てらぐちじゅんこ)医療法人健康会京都南病院 看護部長

第10回 2009年10月31日
チューターのひとりごと

土屋雄一郎(つちや ゆういちろう)京都教育大学准教授

第9回 2009年6月16日
古くて新しい里

伊地知紀子(いぢちのりこ)愛媛大学法文学部 人文学科准教授


第8回 2008年9月30日
私と熊野〜後鳥羽上皇の熊野御幸をよみながら

松居和子(まつい かずこ)京都大学社会学研究室教務補佐


第7回 2008年6月30日
熊野古道の賑わいと味わい

寺口瑞生(てらぐちみずお)千里金蘭大学現代社会学部教授

第6回 2007年5月8日
四季を体験する方法

大野 哲也(おおの てつや)
京都大学大学院博士

第5回 2004年12月29日
徐福伝説と冬の海

逵 志保(つじ しほ)
愛知県立大学文学部非常勤講師

第4回 2004年6月2日
暮らしの力

田原範子(たはら のりこ)
四天王寺国際仏教大学・短期大学部助教授

第3回 2004年2月11日
このみの山ずま居

中村律子(なかむら りつこ)
法政大学現代福祉学部助教授(高齢福祉学)

第2回 2004年12月07日
何ぞ書にのみ学ばんや

古川 彰(ふるかわ あきら)
関西学院大学社会学部教授:(アジア地域研究、環境社会学)

第1回 2004年10月22日
熊野の毒

松田素二(まつだもとじ)
京都大学文学部教授:(アフリカ地域研究、地域社会学)

2008年09月30日
私と熊野〜後鳥羽上皇の熊野御幸をよみながら

建仁元年10月5日寅剋、御幸御進発、寅剋鶏鳴をもって始まる。上皇一行暁の御進発、松明の中を往く。女院や中宮、脛切りの浄衣に脚絆の行装にて出でる。上皇は徒歩にて、女院は輿も揺られ松明のなかしずかにすすめけり。

えっ、最初から何?と思わないでください。オチはあります。これは建仁元年(1201)に、熊野御幸に出立する後鳥羽上皇一行の様子を描いた文章です。私が熊野というとこの一節を思い出すのには理由があるのです。後鳥羽上皇といえば、ちょうど平家が滅亡した後、鎌倉に幕府ができたころの人です。そして幕府に反抗して承久の乱を起こし破れたのち隠岐に流されそこでなくなった悲劇の上皇様でもあります。彼は、上皇であった24年のあいだにじつに28回も熊野詣でに出かけました。当時、京と熊野のあいだを一ヶ月かけて往復したといいますから、本当に頻繁に熊野を訪れた方でした。熊野の人々の熱烈な歓待と霊的な平安がその理由といわれています。私はといえば、この10年以上、毎年三度熊野地域を訪れる地域調査実習の縁の下の力持ちとして、学生たちを熊野に送り出してきました。それだけでなく、私自身も後鳥羽上皇ほどの回数ではありませんが、熊野に惹きつけられ頻繁に足を向けるようになりました。それは熊野の人々の懐に包まれるような安心感と熊野の森や海が与えてくれる霊的な癒やし力のせいでしょうか。というわけで、熊野に行きたくなると、この後鳥羽上皇のことを思い出してしまうのです(オチになっていませんね、すみません)。

調査実習に行く学生が熊野土産とともに帰還挨拶に来るとき、どういうわけかみなに共通して感じることがあります。それは、ちょっとたくましくなり、ちょっぴり誇らしげに熊野の海、山、川、そして人々のことをエンドレスに報告してくれるのです。大阪生まれで愛知育ちの私自身は、熊野にはじつは行ったことがありませんでした。学生実習がはじまって7年間は、まだ見ぬ熊野にずっと想いを募らせていました。今更行けないという妙な意地と、なんとか行きたいという本音がぶつかりあって、なかなか訪問する機会をつくれませんでした。しかし、とうとう4年前、東欧からの研究者の日本案内の一環として、初熊野入りを果たすことができました。もちろん彼女に熊野に行きたいと思わせ言わせるまでに、私が最大限の手練手管を使ったことは言うまでもありません。このはじめての熊野詣でのことを手帳を見て思い出しながら今、この文章を書いています。



地平線までさえぎるものが何もないきれいな弧をえがく七里御浜、岩に打ち付ける波に引き込まれそうな須野。一瞬にして海と私だけの世界がひろがる。振り返ると覆いかぶさるようにそびえ立つ深い山、大きく流れる紺碧の熊野川、圧倒される神々しいばかりの景観。

ここではすべての音が消える。

ちょっと(というか気恥ずかしくなるほど)きざですが、はじめて熊野に行き海と山をみたときの気持ちを素直に手帳に書き付けたものです。あのとき、ほんとうにそう感じたのでした。

熊野へ参らむと思へども 徒歩より参れば 道遠し すぐれて山きびし 馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽賜べ若王子 熊野へ参るには 何か苦しき修行者よ 

いつも学生たちがお世話になっているKさんのお出迎えを受けて、その日の御宿は奥瀞ロッジ。早速、東欧からの客人と一緒に露天の温泉に身を沈めて、山々の霊気を堪能しました。後鳥羽上皇時代と異なり、身も心も(まだ)若い私たちは、雅な宮廷の遊戯とは格段に差があるカードゲームを大勢のビールたちと絶叫付きで深夜まで楽しんだのでした。

明けて建仁元年10月14日、次に山を超え了んぬ。近露御所に入る。時に日の出の後也。滝尻より此所にいたるまで崔嵬陂池目眩転し魂恍々、仍つて偏に輿に乗る。わが身困憊をきわめる。昼に近露御所の歌会が催され、渋々参上し、詠める歌一首。
さしのぼるきみを千歳とみ山より松をぞ月のいろにいでける

人生に疲れ、絶望したとき、中世の人々はいつも心に熊野を念じたと言われます。苦行であればあるほど救われると信じられていたとも。いま、世界遺産に登録された熊野古道におとずれる多くの人も、この自然の中で心身ともに癒やしやうるおいを感じていることでしょう。少なくとも、いつもハイテンションな私にとってはこの上なく心(と身体)にやさしい熊野なのです。後鳥羽上皇もさもありなんと思いながら、熊野への離れがたい思いを断ち切って帰路につきます。消えていた音が戻り始めると、それはもうだんだん京都が近づいてくる証しです。私にとっては、一泊二日の命の洗濯でした。

廿六日 天晴
鶏鳴の程、御幸入御と云々。天明の程、鳥羽の御精進屋に入御、即ちまた出御して稲荷に御幸、御拝御経供養。末の時ばかり参著す、奉幣をはり即ち馳せ帰りて、清閑寺の辺りに於て、松明を取りて京に帰り、洗髪沐浴す。をはりて寝に付く。今夜は魚を食す。

本を読む者にとって、生まれてはじめてほんとうに心にとどいた本ほど、深い痕跡を残すものはない。初めて心にうかんだあの映像、忘れた過去においてきたと思っていたあの言葉の余韻は、永遠にぼくらのうちに生き、心の奥深くに「城」を彫りきざむ。そしてその先の人生で何冊本を読もうが、どれほど広い世界を発見しようが、どれほど多くを学び、また、どれほど多くを忘れようが関係なくーーかならずそこに帰っていく。

私の好きな『風の館の物語』の一節です。本もそうであるように、場所も私たちに同じ感覚と感動を与えてくれるようです。

また熊野に行く日が近づいてきました。

松居和子(まつい かずこ)  京都大学社会学研究室教務補佐

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